ミッションインポシブル
ある日の午後、老健施設より高齢の方が出血で来られましたと受付より連絡があった。午前中に予約があったので、すぐに診察室に入ってもらった。すると、いきなり、“先生、赤ちゃん産ませてくださいよ"といわれた。いささか、ぎょっとして車椅子に座ったその人の顔を見ると、かなり老けてはいるが、ああ、あの時の患者さんだと思い出した。・・・・・
10年ぐらい前に変わった患者がやってきた。そのときすでに70歳ぐらいだったが、お腹の中で動いている、妊娠しているから、産ませてくれというのが主訴だった。一応、超音波検査などで診察して、妊娠はしていません、何もありませんよと説明したが、その後な んどもやってきて、産ませてくれとおなじことをいった。その人に子供はいたが、流産でもして、それがトラウマになっているのかな、と思ったが、心の病か、認知症?かという ことで精神科に行ってもらうことになり、その後来られなくなった。
そして、本日、再会したということであった。妊娠はさておき、出血について、診察すると結構多い出血で、子宮が年齢にしては大きくなっており、超音波検査では子宮体部の中の変形が目立つ所見であった。やはり、子宮体癌か?とため息がでた。高齢者の出血は子宮体癌が多い、癌検 診を受けられることはまずないので、進行しているし、もともと一般状態が悪く、手術はできないことが多く、手術ができたとしても、その人にとって良い選択と言えないことが多い、なぜなら手術をすることによって、その負担が、精神や肉体にダメージを与え、日常生活が何とかできていた人が寝たきりになったりする。認知症もすすむ。抗がん剤による治療も同様である。細胞診、組織検査結果で子宮体舗は確認されたが、悲しいがどうにもできない、経過観察ということになり、施設に帰っていただいた。
1カ月ほどして、その施設より、その患者さんが子宮脱になっているから、救急で受診させますといってきた。前回診察で子宮体癌はあるが、子宮脱の所見はなかったはずだが、と思いながら、診察した。すると、あそこからこぶし大の何かが出てきているではない、か! それを指でどうにか取り出すと、丸い形状の塊であった。“ようやく、産めました、先生、ありがとう"その息者さんにいわれて、どう言ってよいかわからず、混乱してしまった。 超音波検査では子宮内は液体(たぶん血液)に満たされた状態であった。組織検査でその 塊はやはり癌組織であると判明した。その後1月してその患者さんの訃報を聞いたが、安らかな最期であったとのことであった。癌を産み落として亡くなられた、これはいったい 何だったのだろうかと思う不思議な体験であった。
(ある日のDr,Qの診察室日記より)  ※これはフィクションです。
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